大法寺三重塔【長野県 小県郡青木大字当郷】

国宝 三間三重塔婆 檜皮葺 鎌倉時代(1333・正慶二)

大法事の沿革は明らかではないが、塔は後山の中腹に建ち、1920年の修理で発見された墨書により1333年の建立が判明した。山間三重塔で各重とも中央間を板扉、両脇間を盲連子窓とする。軸部の逓減は初重から二重への差が大きいが、組物は初重に二手先、二、三重に三手先を用いて軒出と軸部の広さを調節し、軽快でひきしまった塔姿をつくる。中備は初重では中央間を蟇股*、両脇間を間斗束とするが、二、三重目は中央間だけ間斗束を入れる。内部は来迎柱を後退させて禅宗様の影響が入った仏壇をおき、上部は長押上に横連子をくんで繊細な子組格天井をはり、仏壇上部だけ一段高く折上小組格天井とする。当塔婆は仏壇を除き純和様からなり、相輪の水煙**の意匠もよく、鎌倉時代三重塔の代表作の一つです。

*〔蟇股 かえるまた⇒二つの横材の間におく束つかの一種で、上方の荷重をささえるとともに装飾ともなるカエルが脚を広げた姿に似ているところからこの名がある厚板の左右に曲線の繰形を施した板蟇股は奈良時代からあるが,内部をくりぬいた形の本蟇股は平安末期に始まり、のち彫刻装飾が加わるようになり、桃山時代以降その装飾性はますます重視された蟇股の曲線と彫刻は建築年代判定の基準の一つ〕

**〔水煙 すいえん⇒塔の九輪の上につける飾り実際は火炎をかたどったものだが、火を避けるという意味で工匠がこう呼んだものといわれる天人の舞い降りる姿を表した〕

千手観音立像
【京都市右京区太奏蜂岡町 広隆寺(太奏寺)講堂】

国宝 木造漆箔《しっぱく》 
檜の一木彫 平安時代前期(九世紀)像高266.0mm

現存の優れたものとしては唐招提寺金堂の千手観音立像(奈良)に次ぐ千手観音の古像。講堂の外陣、向かって左に安置される。実際に千本の手を作ったと思われる唐招提寺像の例もあるが、本像のように正面合掌の二本を入れて四二臂《ひ》が普通である。これは一手が二五有界《うかい》の衆生《しゅじょう》を救済するということから、中央の二手を除き、あとの四◯手に二五を乗じて千手となることに由来する。

 像は檜の一木彫、正面裙《くん》(もすそ)のひだは整えられた飜波式《ほんぱ》の衣文《えもん》に作られている。818年(弘仁九)炎上後の復興のおりに、造立されたものと考えられる。光背、各手の持物は後世の補作。

(小学館 大日本百科辞典 別巻 日本美術名宝辞典/アスキー出版局 マイペディア97より)


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